2017年8月13日 (日)

「大学授業料出世払い」の記事より

気になることが出てきているので、メモとして書いておく。

とても長いのでそのおつもりで。

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今日の日経の一面は

「大学授業料 出世払いで」「『教育国債』で政府が新構想」「こども保険とセット・ばらまき懸念」

という記事である。大学などの教育費の負担軽減策に当てる教育国債の構想の再燃、として、授業料を国が立替払いし、卒業後一定の収入を得たら授業料を出世払いさせる、という案である。

 

ーーー

 

少し考えただけでも、多くの視点・要素の議論をしなくてはならないことであるとわかる。

・財政負担の規模と時間スケールに関すること

・一定の収入の判断と、時間差の問題(借りる段階と支払いの段階の想定差)

・大学進学とそれ以外の公平性の問題

・教育と人材育成の違い

・教育への施策と効果への考え方・根本の変革の可否

・教育の公平性と、機会均等の公平性、の違い

・その他

 

ここでは財政の話と、収入規模の判断、については、横においておく。

その他の4つは、互いに強い関連性がある。

 

ーーー 「大学などの高等教育」という限定について

 

どうして高等教育だけなのか、ということである。

私はその方面には全く疎いが、例えば学生支援機構は専門学校等にも奨学金制度を設けている。なぜ、高等教育に限定するのだろうか。これは、授業料が高額であるから、ということであれば、授業料そのものを下げるための施策と、高額な授業料であればその高い部分に対して規定し、高等教育に限らない制度にするのが、公平である。

 

 

ーーー それ以前に、教育、をしている意味

 

そもそもの話になり恐縮だが、

 

教育の目的はなんだろうか。

 

義務教育からはずれた高校以上に関して言えば、大きく分けて2つある、と思う。

 

一つは、自己の内的幸福のためであり、

もう一つは、専門性等のある道の能力を高めるためである。

 

 

自己の内的幸福、と書いたのは、こういう理由である。

 

学んでいるときに喜びを得られればそれは良いが、それはおいても、

教育で得た学びが、

 

 

・その後の人生において、より正しい行動に結びつく、というような実質的な幸福(不幸の回避)に役立つこと、

 

・その後の人生において、接する状況や情報において、感動したり、知的に(時には体感的に)興味深い・楽しい、といった機会を増やす、というような、心の幸福に役立つこと

 

 

というようなことを、人間社会は知っているからである。

 

 

高等教育には、卒業後、最終的にそうした内的幸福にのみ貢献するケースと、専門性を高め、その後のキャリアを構築するのに役立つケース、とがある。これらは大学として混在しており、その役割の違いに応じた組織の区分を行っていない。だから、理系重視、文系軽視、などという話になっていっている。

 

そこにおいては、上記の個人の心の幸福を深化させるのみであれば大学は不要、ということでよいか、ということを真剣に議論しなくてはならないのである。

 

それを大学から排除する、という議論をするのであれば、例えば、文学科は、作家志望や文学研究者となるもののみを募らねばならない。そしてその狭い母体は、30年後60年後には、そうした幸福に対して教育や生産物を提供する人材が極端に細ってしまい、国全体の個人の幸福全体が低下することにつながりかねない。

 

これは持続可能性のシステムという観点である。専門性を育てる以外の教育というのが、どの程度の意義・広さで存在していないと、国全体の個人レベルの幸福度が高く維持できないのか、を真剣に議論してほしい、と思うのである。(定性的にだけでなく、より定量的に。)

 

だが、少なくとも定性的には、現時点で私は、これがなくなってよいとは思えない。

 

(これに近い議論を「教養」の役割だ、としていることを承知しているが、日本では、「教養」の意味が多様に受け取られる可能性があり、すでに使える用語とはみなしておらず、ここではあえて使っていない。欧米の教養と日本の教養ですら、違う。 日本には「学がある人」をそう呼ぶ人が多いが、それが心の豊かさにつながっているかどうかが問題だ、と私は思う。 個人的な話を加えると、私は狭い知識で深い幸福を得られるタイプの人間であるから、いわゆる「教養」という言葉とは無縁である。)

  

 

ーーー 専門教育、職業訓練との差異と公平性

 

教育と人材育成は、同等だろうか。

現在の文部科学省は、大学教育を人材育成として位置づけている。

 

その能力水準において許された人が、学びたいところとして大学を位置づけているのではなく、

社会に役立つ人材の育成組織として意味のある教育機関として位置づけているのである。

それでは、文学部や理学部はどうなってしまうのか、ということになりかねない。

 

ある特殊な学科であるとしても、人材輩出としての効果は100%ではない。

バブルの頃なぞ、理系の学生が、どんどん銀行に入社していた時期もある。

 

つまり、職業訓練をしているわけではなく、その素地としての人材を育成しているにとどまっている。専門知識を所定のレベルまでは獲得することとしている。

 

 

では、この新聞記事の「構想」は、

就職前の専門学校や職業訓練で学ぶ者との差をどうするのか、ということにならないだろうか。

確かに学費は高い。だから大学をターゲットにしているのもわかる。

だが、専門学校でも、就職後の給与が低ければ、その差額がおなじならば、同じことである。

 

 

私は、大学等を「高等教育」と呼ぶことには違和感を持っている。

 

逆に言えば、「高等教育」に進まなかった・進めなかった人たちがおり、その人達に職業訓練や専門教育を行っている状態を「中等」と呼んでいるわけではないからである。

 

特に「高等教育」に限る必要はない。

 

子どもたちの就職するまでの過程での負担と効果の公平性を考え、制度設計するとよいと思う。

そこは、教育への施策と効果への考え方・根本の変革の可否を検討の段階に立っている、と考えて良い。

 

これまで、義務教育以降の教育は、家庭の事情で決まることはやむを得ないという考え方である。それを変革しよう、という考え方は良いと思う。

 

一方で、教育の公平については、別の認識が必要である。

 

いま、大学の進学率が極端に高い事態は、多くの人は教育が公平になった、と考えるかもしれないが、これはとんでもない間違いである。大学は、所定の学力があるとみなされた者が選抜されて入学することが許される場所である。この割合が変化したということは、明らかに低い能力の入学者が多数進学しているのである。

 

これは教育の公平ではなく、逆平等である。少子化が見えているにもかかわらず、大学は増殖するし文科省は黙認してきた。大学の教育の質そのものが大きく変質し、ときに、何が高等教育なのかすら疑問を持たざるをえない。

 

適切なレベルに設定し、学生が少なくとも、つまり高い授業料でも大学が維持できる制度、ということになるほうが、様々な面でよい方向に向かう。むろん、大学の統合化が容易な環境を作ることも重要である。現在の学校法人にかかる制度設計は、この点で硬直的に過ぎ、非常にひどい状況にある。

 

話を戻すと、高校以上の教育において必要なのは、機会の公平性であり、教育そのものの公平性ではない。ここを勘違いしてはいけない。

 

努力し能力を獲得したものが挑戦し入学せきる機会を公平に獲得できることが必要なのである。

 

希望する者全員が入学し、高い授業料について借金し、社会に出る段階で借金大魔王になる者を、多く送り出すことではない。

 

ーーー

 

高額な教育・訓練と、社会に出てからの収入の差異を調整する制度があることはよいと思う。

それは大学に限る必要はない。


高度経済成長の後、

体一つでできた仕事がどんどんなくなってしまった。
建設現場ですら、免許などがなくてはなんともならない。
ちょっとした仕事でも、少しは何らかの職業訓練や経験・知識の獲得を要するものが、とても多い。

こうして、人材の流動性はまったく失われてしまった。高度化するということは、別の不幸を増やす要因も作り出している。

人材不足は絶対量によって起こっているように見えるが、実際には分野ごとの人的偏在や受給の変動によって起こっているのである。

そして、誰でもできる仕事こそ受給で決まるはずが、まだそうした仕事の給料賃金はそれほど上がっていない。この先逼迫すれば、都市と地域差は大きくなるだろう。だが、それでも人の移動の方が昔ほど起こっていない(地域流動性の制約)の原因は何なのか、も考えてもらうと良い。(移動・転居コストのハードルの高さと、その緩和策のようなもの)

話を戻すと、「高等教育」以外の職業・キャリアパスにおいて、幸福な像を描ける環境を整えてほしい、と望んでいるのである。愛知県の西部では、その状況は実在する。

わざわざギリギリで大学に進み、就職活動の末によく知らないソフトな企業に入社して将来不安なママ低い給料で働くより、

工業高校卒でトヨタ系列の工場で働く、

という方が、よほど幸せだ、などと思う人はいるし、実際そういう比較が可能である。

高学歴信仰が不幸な状況を作り出す原因の一つである現状を緩和し、高い学力のものが大学を目指し、その他の方々も道を見出し職に就く、それぞれの幸福のあり方を描けるかどうか、ということが、この記事で気になったことである。

これを正しく機能させるための、大学側のあり方も含め、社会全体の像を、定量的に、どうあるのがのぞましいか、を見直すこと、それが今日本で考えてほしいことの一つなのだろうな、と思ったことを書き残しておこう。

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2017年7月14日 (金)

20170714の犬山周辺の雨と氾濫について

14時現在書いている。
今日は所要により現地に行けないのが残念である。

川の防災情報によれば、
http://www.river.go.jp/kawabou/ipTopGaikyo.do?init=init&gamenId=01-0101&fldCtlParty=no

新郷瀬川の羽黒地点は、すでにピークを超え、氾濫危険水位も下回っている。超過していたのは2時間ほどである。

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一方で、五条川の上流部では氾濫した上で、水位が下がっていない。
10min
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レーダー雨量(Xバンド)は、9時前後から11時前までの2時間ほどで、100-130mmほどの強い雨が犬山市・大口町に降り続いたことになる。

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X1019

地点雨量で見ると、
犬山(愛知県河川)地点では、
10分最大19mm
30分最大54mm
60分最大86mm
120分最大123mm
この他にも
今井(砂防)では
10分最大22mm
30分最大53mm
60分最大97mm
となっている。
「愛知県の確率降雨」を見ると、
http://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/231329.pdf
今回の
10分雨量は7~20年確率(に一度相当)
30分雨量は40年確率相当
60分雨量は40-80年確率相当
120分雨量は50年確率相当
となっている。

道路排水の設計は5年確率が通常であり、
五条川上流・新郷瀬川の上流部の「暫定の整備目標」は10年に一度の雨としている。

(しかも、整備は終わっていない)
よって、短時間の雨であっても、排水能力を大きく超えた雨であったことになる。


(注意:上記の確率は2000年までの統計に基いているため、近年の雨まで入れた確率雨量ではない。)


=== 今回の雨は

短時間に局地的に降る強い雨(いわゆる「ゲリラ豪雨」)の典型的なパターンといえる。

こうした雨は、内水氾濫、中小河川の氾濫をもたらし、、大河川の氾濫にはつながらない。
つまり、道路冠水、床下浸水、床上でも浅い浸水にとどまる。

逆に言えば、わざわざ危ない行動を取らなければ人が死ぬことはない。

今回の雨は、それまでのレーダーを見続けると、雲の動きから、危険な雨かどうかはわかる。

細長い雨域が、その線の上で流れるように動いていれば危険、
細長い雨域が、線の方向ではない方に動いていれば、通り雨、である。

そして、その雨が自分の近くの川の上流全体にかかり続けるようであれば、その川は危ない。そのためには、どこまでが流域なのかを知っておく必要がある。

これは、それぞれの場所で知らなくてはならないので、役所や気象庁が、いちいち住民に知らせることができない。そこが問題だ。

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2017年6月21日 (水)

繰り返される時間進行

和歌山県南部に大雨が降っていて、いくつかの河川の出水は諸水位を超過している。
すさみ町を流れる周参見川は早い段階から水位が上昇している。
10:20には氾濫危険水位を超過した。

川の防災情報
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NHKの情報では10:15に町全域に避難勧告が出されたとのこと。
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ただ、これをNHKが伝えたのが11時過ぎで、ずいぶんと時間に開きがある。さらに10:45に一部地域に避難指示が出された。
11時時点の町役場のHPにも、避難勧告の情報は載っていない。
このケースでは、防災無線や人づての情報しか頼る手段がないことになる。

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===考察

すさみ町役場は混乱している、または準備不足の状況であると思う。
いきなり全域の避難勧告はやりすぎで、川沿いではない沿岸地域には必要ない。
また、いきなり避難勧告ということであれば、ぎりぎりすぎである。水位の変遷を見れば避難準備情報は9:40の時点で判断できる。
もちろん理想は、氾濫危険水位に達した時点で避難するべき人が避難完了していることである。
混乱していると書いたが、こうした状況は小さな市町村でどこでも同様に起こりうる。普段からこうした時間進行を想定した段取りをとれるのかどうか。

11:30現在、被害情報は入っていない。

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2017年6月11日 (日)

網走へ

3.5日滞在した北海道も今日は離れる。

ウトロを出発し、西に走る。

雨であり、霧であり、雲がある。

海別岳も斜里岳も見えない。
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今日はおとなしくする。

オホーツク海沿岸を走り、先日立ち寄った濤沸湖。
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こちらの野鳥の観察館の2階に登ったが、やはり鳥もほとんど見えなかった。
展示を見る。
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===洗車

調査時のどろどろが付いたままで、

国道を延々と雨の中を走れば落ちると期待したが、ほとんど効果はなく、

久しぶりにノズル洗車を楽しんだ。
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だが気温が低く、とても寒い。
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===網走

網走の街は、台地の上に開けている部分と、網走川周辺の低平地に分けられる。
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網走湖から海に抜ける網走川は思ったより狭い。
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現在の網走刑務所が対岸にあるのを、学生の頃に一度見たのだが「受刑者が逃げないように堀がつくってあるのだ」とずっと勘違いしていた。

途中、網走監獄の近くで昼食を美味しくいただいた。木のストーブがあり暖かく、食事と緑と木の建物が調和していた。
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山の上にある流氷館も霧の中にあり、展望台は役に立たなかった。

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網走湖の西岸を走って空港に向かう。

網走湖は昔から水質が問題になっている。
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水質を測らなくても、目の前の色を見れば、問題なのはわかるだろう。

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そこに注ぎ込む水路もドロドロであった。やはり畑地からの土砂・物質の流出は深刻に見える。根源的な対策は、面で行うしかないと思う。

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ーーー 3日半の旅

天気に恵まれ、知床の自然、とくに地形的な面を楽しんだ旅であった。
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調査の方は、まったく残念であったが、昨年一昨年の大規模な出水による撹乱があったことを思えば、やむを得ない状況と諦めもついた。

次に来るのはいつだろう。

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2017年6月10日 (土)

知床の沿岸を見る

今日は、知床半島の両岸を見た。

朝、ウトロから観光船に乗り、3時間、半島の岬へ。
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乗り場の近くに、ゴジラのような岩がある。
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出航し、知床半島のオホーツク海沿岸を北東へ、岬を目指す。
曇り空であるが雨は降らなかった。

ウトロ、ホロベツ川を境界に世界遺産の領域へ。

これは昔の溶岩が固まったものだが、下の方はゆっくり上の方が急速に固まったようである。
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その下の方の領域に、洞窟上のへこみができている場所があるそうで、いちいち名前がついているのがアナウンスされたのだが、そこはあまり興味がない。

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昨日通った、ユースホステルがある岩尾別川の河口。
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そこにヒグマがいた。スマホの写真では「点」である。親子で、右の方の小さい点は子熊である。
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さらに北上。岩の崖がつづく。

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その上に、知床五湖がある。
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これは、沿岸の溶岩の崖の向こうに、羅臼岳から硫黄岳の山麓の山体崩壊が雪崩れてできた緩い平原があり、そこに湖がある。

先ほど見た岩尾別川はその西側に抜ける川であり、
こちらのイタシュベツ川は北東側に抜けるかわであり、
特に後者は土砂を運んで、河口にマウンドを作っている。
この川の最上流部は硫黄岳で、その成分が河口部に黄色の場所を作っているようである。
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そのさらに東には、カムイワッカの滝が見える。
この沢は有名な温泉の川であるが、
新しい河口が上流にあることもあり、
こうした湧泉だけでなく、噴火による新しい溶岩の断面も見て取れる。
下の方とは層の様子が異なる。
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さらに北東へ。硫黄岳を離れる。
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これまた写っていないが、きれいなオジロワシが留まっていた。
先に尖ったように見えるのがそれである。

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他にもきれいな滝が見られた。
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硫黄岳の東側、ウブシノッタ川は、山頂付近まで切れ込んで底抜けた地形であるのが特徴で、その排出土砂がマウンドなっているのが特徴だ。
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ルシャ川の河口付近に、熊がいた。
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テッパンベツの方にはいなかった。
その先の小屋。ここは漁業の前線として生きている。
最近テレビでも見た。
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ルシャ川の上流部は、硫黄山と知床岳の間の平地が多く、
羅臼側のルサ川とは小さい標高差で乗り越えられる。
風が抜けるため、南風が雲を運びぬけてきていた。
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知床岳の領域へ。
これは帰りの沖からの写真。
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知床岳の山の地形は、V字の谷がわかりやすく切れ込んでいることである。
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半島の先端。少し灯台が見える。
テーブル上になっている陸地は、第三期溶岩の層の上面だろう。
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わかりやすく一枚の溶岩ではなく、その上に薄く、斜めに第三紀の堆積層があり、崩れたりしている。ここにある小屋が、その堆積層の崩れた斜面の下にあるのが、危険に見えてならない。
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帰路。羅臼岳から硫黄山まで、いよいよ羅臼側の雲が乗り越えてきた。
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世界遺産の境界、ホロベツ川の谷筋。
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風が強く波が立つため、沿岸にアプローチして見えるように、という操船に苦労されていたようである。

ウトロに到着。
沿岸の低い部分の町と、台地上面の旧開拓地にあるホテル・温泉の面との二重がよくわかる。
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=== その近く

誤って、ペレケ川を挟んで隣の台地面は、農地に利用されていた。

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=== 館めぐり

環境省の世界遺産センター(ウトロ)、
知床財団の知床自然センター(ウトロから国道を上がったところ)

環境省のビジターセンター(羅臼)
を巡った。これは自然センター。地図などを購入した。
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ヒグマ目撃情報など。
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ヒグマの毛皮の実物に触れることができた。

今日も知床峠を超える。
羅臼岳。
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今日も国後島が見えた。予想外に良い天気である。
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ビジターセンターで。
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私はここの、知床半島のジオラマが好きである。(写真なし)
衛星写真か航空写真に重ね合わせてあるもので、
地形、とくに勾配や崩壊土砂の状況と川、沿岸の状況を結び付けて考えることができる良いツールだからである。

=== 羅臼から相泊まで

天気が悪くないので、夕方に走った。

新しいトンネルもできていた。

ここは、世界遺産の沿岸の境界である、ルサ川。
オホーツク海側の「ルシャ川」とは背中合わせで、互いに高い山を越えないでつながっている。
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羅臼から北の沿岸は、崖が海に迫る区間が非常に多く、7kmほどは雨量規制となるとされている。
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昨年の災害だと思うが、非常に多くの災害復旧の斜面工事が行われていた。
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行き止まりとなる相泊でも、アイドマリ川の河口には土砂が堆積し、おそらくは上流の斜面崩壊があったものと見える。おそらく第三紀層の山で、もろく、苦労しそうな場所である。
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ここから先は、歩くか、船に乗せてもらわなければいけない。
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シカさんがやってきた。多少の注意を向けるだけで、むしゃむしゃ。
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キツネ君もうろうろと。
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=== 再び知床峠。
羅臼岳はやや、「ジブリ」の世界に近い状況になっていた。

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知床半島の両沿岸を見る一日は、無事に終えて、ウトロに戻った。

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2017年6月 9日 (金)

知床半島へ

北海道、斜里に宿泊した。

年休をとって私費の旅ではあるが、
すでに終了した共同研究での調査関係の幕引きもあり、出かけてきている。
2年ぶりの現地である。

斜里の宿から見た知床半島。
手前右が海別岳。
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ーーー 金山川

ウトロに向かう途中にある川。
砂防堰堤の連続する区間が河口付近に続いている。
上流のほうが少ない、というのは、知床半島の地形。
海岸付近が崖面で、最後が急勾配になるためである。
林道などを守る他にも、土砂による河口閉塞が、沿岸を走る道路を洪水に沈めることにすらなりかねない。

だが、フラットな堰堤は上流に広い水域を作り、河畔林を左右に後退させ、日射を当てやすくなり、夏場日中の水温を上げすぎてしまう。そのメカニズムや、量的な影響の度合いについて、調査研究しており、ほぼ結論は出ているし、論文にもなった。

その計測器をすべて回収するために赴いたのだが、

すでに夏の装いであった。
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轍掘れのある林道を抜けたが、泥のたまった水たまりにスタックし、抜け出すのに20分。

前日の雨で増水して作業性・視認性が悪い上に、
おととし・昨年の大雨での出水で地形が変わるくらいに土砂が動き、
センサは流されるか埋まるかして、殆ど見つからなかった。

さらに悪いことに、滑ったときに持っていたカメラを、首にかけていた紐に力が入って切れるのと同時に手からも滑り落ち、砂防堰堤の滝壺の中に落ちてしまう、など、泥だらけ、濡れネズミと、近年稀にみるさんざんな現地であった。
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いつもよく聞こえている、ぽぽ、ぽぽ、ぽぽ、という定期的な鳴き声は「ツツドリ」であることが判明。あまりにも定期的で、鳥らしくない声なので、何か近くで機械がうごいているのか、とずっと思っていた。

=== 東へ

国道をウトロ方面へ。オシンコシンの滝は素通り。
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ウトロ。
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昼食を買って、さらに国道を東へ。
ウトロの町を振り返る。
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岩尾別川の河口付近。崖面。
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岩尾別川は、羅臼岳からの連峰のふもとの水を集める。
ユースホステルがある。
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素晴らしい天気に恵まれ、気を取り直せた。

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一湖
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たくさんの虫が鳴いていたのだが、エゾハルゼミではないかとのこと。
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さらに東へ、カムイワッカの滝へ。
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硫黄岳から流れ下る温泉の滝である。
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スロープである。しかし、思ったより滑らない。
はだしならば大丈夫である。
ぬめりはないのは、成分のせいなのか、急勾配で雨天時に砂が洗うからなのか、はわからなかった。


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子どもが駆け上がり、泳いでいた。

周りの森が素晴らしい、と前も書いた。
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昨日の雨の影響で思ったほどの水温ではなかった。
前回来たときは31.2℃、今回は27.7℃。
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ーーー 動物
キツネとエゾジカに出会った。
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お得意の見返りのポーズ。
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ぴょんぴょん飛んで逃げる。
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=== 羅臼
羅臼に降りると、「熊の湯」なる露天風呂が繁盛していた。
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晴れた羅臼の町に来るのは初めてである。
いつも、曇っているか、霧雨か、である。

そしてその街から見上げるように羅臼岳が見えるのは知らなかったし、素晴らしい。
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=== 知床峠

日が沈む前の風景。
国後島が見える。
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羅臼岳。
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日没後に羅臼から戻ったところ。
ウトロ側のオホーツク海。
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羅臼側。国後島と月。
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素晴らしい風景だった。

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2017年5月13日 (土)

時計のブログツール

ふと自分のブログを見ると、
一部がおかしい。

NHK時計が表示されていないのである。
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クリックすると、このツールを提供している「ラボブログ」は終了なさっていた。
http://www.nhk.or.jp/lab-blog/


ITmedia 「NHKラボブログが終了」

ちょっと残念であるとともに、
削除するとちょっとさみしいので、
別のものを貼ってみた。

=== 追記

あたらしく貼った古時計のパーツ。
Chromeで見ると、再生ボタン「▶」がくっ付いていて、
押さないと表示されない、という用をなさない状態に。
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これはchrome ブラウザ側の設定を変えるしかないそうである。

さらに別のものにしてみた。

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2017年5月12日 (金)

車とCO2排出

車が出すCO2排出量について、思うところがあり、調べてみた。
より最近の良い資料があると思うが、検索で早くたどり着いた2011年の情報をベースに値を見た。

出したのは、最終的に車で必要とする仕事量の1単位(kWh)につき排出したCO2の量である。

EVは、電力の発電の電源構成で、燃料の使用が変わるため、東電の情報を使っている。
震災前後でCO2排出量は、1.6倍に増加している。

震災後でも、EVは、ガソリン車の1/3程度、ハイブリッドの半分程度のCO2排出量、という優位性を示していると知った
(これは化石燃料のエネルギー消費量と見ても大きくは変わらない。)

日本自動車研究所の資料などは、1km走行あたりの消費エネルギー・CO2排出量を2011年に出しているが、それを知ったのがこの数字を出したあとのことである。電源構成は震災前後でここで改めて扱っている。

Co2

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ここでは、車の製造にかかるCO2や、発電所の設置・廃棄に係るCO2は入っていない。

これは言うまでもないが、原子力は発電所や使用済み燃料の放射性廃棄物の行先すらきまらず、そのコスト(経済的・環境的・社会的)なものとCO2排出と比較できるタイプのものではない。

ここでは原子力を抜いたとしても、フローベースで見た場合、CO2排出量はそれでもEVはかなり優位に立っている、ということは確認できた。

===

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2017年5月 8日 (月)

大槌 食べる通信

みなさんは、「食べる通信」というのをご存じだろうか。

「食のつくり手を特集した情報誌と、彼らが収穫した食べものがセットで定期的に届く“食べもの付き情報誌”」

である。

東北食べる通信」は、高橋博之さんが新しいコンセプトではじめられた、食材と、記事を一緒に届ける「通信」である。
単にモノを売るためではなく、重要なのは作り手を買い手を記事・ストーリーで結ぶ、というコンセプトである。消費者と生産者を結ぶ。

私たちは、どういう人の手で、どれだけの手をかけて作られているものを口にしているのか、など、消費者が無視し、都市と田舎を切り離されてしまったものを可視化し取り戻すツールとして生かすものと私は認識している。

=== 「大槌食べる通信」

今は、「東北」のほかに、日本各地の「食べる通信」が立ち上げられている。

私は、震災前後を通して、岩手県大槌町に通っていることもあり、

「大槌 食べる通信」を「購読」している。

季刊、つまり、年4回の発行で、今回が3回目の発行である。

初刊が「ホタテ」
2号が「サケ」

そして今回は「牡蠣」である。
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作り手の方を私は知っている。(あちらがご存知かどうかは知らない。)
いや、知っているというほどのことは言えない。
大槌の方々、大槌の漁師が、震災の時にどういう状況にあり、その後どのような時を過ごし、努力をされてきたか、その中で何に気づき、今を迎えているのか、など。

おそらく、名古屋にいる人たちの多くよりは、知り、何が問題なのかの多くも知ってはいるつもりだが、では何かに貢献しているとはとても言えない。

やはり、震災直後、そうした人々に「そのときに何が起こったのか」をダイレクトに話をこちらから聞きに向かうことは、しなかったし、とてもできる状況にはなかった。

むしろ、そこからどう回復させるか、というところで壁になっているものは何か、という点ではいろんな人から多くの話を聞くことができ、それは多くの構造的な問題があることも知っているつもりだ。(そして、それは多くの人が、単にだれだれが悪い、というような言い方で結論付けたがるのだが、私は、構造的な問題であるからこそ難しいのだ、と言っても、なかなか理解されない、そういう性質の問題・壁が復興前、復興過程、ともにあるのである。)

そうした問題の顕在化、というのとは全く違う、一人・一家族、食・材料などの視点から、紙面を構成し、こうした隠れた問題の上で乗り越えようとしている人々や業というものが描かれているのは、私のようないわゆる理系人間にはできない仕事である。

せいぜい、不器用に牡蠣の口を時間をかけてやることくらいだろう。
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いや、そんな能書きはよいのである。

そのまま焼いたものをいただく。右がその冊子。
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うーん。ジューシーだし、味も何もいらない。
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冊子には、おすすめのレシピが2つ掲載されていた。
こちらは、「甘辛照り焼き丼」のミニ丼を相方に作ってもらった。
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大きくて、素晴らしい味。

そして、作られている海を私は少しだけ知っている。
大槌湾の養殖は、大槌川・小槌川の上流の山から海底湧水まで、この町の水文現象・物質供給ともつながっている。

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次回は「ウニ」だそうである。

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2017年5月 4日 (木)

白鷹火山崩壊地

今日は山形盆地周辺を見る。

山形駅近くの宿から、月山がよく見える。
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西に向かう。須川を超える。これは山形盆地の西の方を北行して、いずれ最上川と合流する。
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山形市から真西に見える、山のくぼみは、崩壊地形で、その上部に湖が散在している。この地形全体を見ようと試みた。
見たいのはこの大規模崩壊地である。
国土地理院地図

=== 後に読んだ情報。

この、白鷹山を南西部に置いた不完全なカルデラは、昔大きな火山であったそうである。

層序と放射年代測定による地質調査所の2名の論文が発表されている。
三村弘二・鹿野和彦(2000):東北日本、白鷹火山の層序と歴史、火山、Vol.45,No.1、pp.13-23
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kazan/45/1/45_KJ00001052750/_pdf
これによれば、約100万年前に白鷹火山の活動が始まり、3回の山体崩壊をはさみながら90万年前までの10-20万年の間に溶岩と火砕物を噴出、山体上部(現在よりも高い山だった)は大規模崩壊によって失われ、「岩屑なだれ」の堆積物をもたらした、とされている。

つまり、大きくなった山が崩壊し、崩れた土砂が「岩屑なだれ」となって麓に押し寄せている、という地形である。

現在の地形を素人目で見ると、大きな崩壊による岩屑なだれは東側だけでわかりやすい。しかし、岩屑なだれは北側にもそしてカルデラの外の西側にも起こっているそうである。
特に、西側の平地を超えた斜面側(白鷹町針生)まで達しているとのことで、規模はこちらのほうが大きいとのことである。

ということは、全く知らず、見に出かけた。

ーーー東からカルデラを半島時計回りに回る。

県道49号を、上反田付近から登る。
のどかな風景であるが、手前右から昔の崩壊地形となっている。
いま登っている場所は崩壊の残丘か、または動いた岩屑そのものでできている山である。
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県道49号付近の崩壊は西から東に起こっており、実際にその一部ではこれによる土砂災害防止の為の手を打ってきている。

真西の上から望もうと試みたが、進入禁止などもあり、うまくいかなかった。
(今回は白鷹山に登るのは諦めた。)

山辺町に入っての風景。
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山辺町畑谷付近。のどかで、水を使う風景が続く。Dsc05972
このあたりはカルデラの北西側になるが、カルデラ境界は見られず切れている。
ある時期に崩壊により岩屑なだれで抜けた場所とのことである。
水による平地化の効果もあるだろう。
西黒森山の西側の県道17号、カルデラの西側を走る。。白鷹長との境界付近。
北東には月山が望める。
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西に朝日連峰。この手前の山の麓(針生)まで岩屑なだれは押し寄せたことになる。
4日前に通った最上川は手前の山の向こうである。
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西の峠を超えて見たが、見下ろせる良い場所はなく、「狐越」の峠から、崩壊地土塊の上面の窪地の中に降りる。
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その途中。
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そこかしこで水が湧く。
知床など、山体崩壊・岩屑の深い層があるところではよく見られる。
こうした崩壊地の水は湧水が豊かになることが多く、下流河川も低い水温になることが多い。

この窪地内の南斜面(カルデラ南崖)に林道が続いていたので、登ってみた所、それなりに見下ろせた。
向こうの小山はカルデラの周縁の西黒森山と東黒森山。
手前の低い山のように見える緑の凹凸が、岩屑なだれで残ったかたまりで、これらの間に湖が多数ある。先の論文では、岩屑なだれによる動いた土砂の層は、地下数十mに渡っている。ごっそり滑っていることになる。
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東に山形盆地が見える。
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月山方面。
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カルデラの斜面を畑地で利用されている。。。キツい勾配である。
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この池と岩屑の小山の間を北に抜ける。
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県の施設があり、遊びに来ている子供連れなど、屋外ランチなどにとてもよい場所である。
釣りが多かったのが気になった。

ーーー降りる

山形市側の、岩屑なだれの先端、上平・礫石(つぶて)のすぐ上から望む。
眺望はすばらしい。しかし、土砂災害的には安心できない。
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=== 平地の反対側、山寺へ

芭蕉の句などで有名だそうで、山に張り付いた寺社群に向かう。
途中、市内の県庁前。
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山寺は、恐れてはいたが、やはり渋滞であった。
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さくらんぼやりんごなどの木を眺めつつ、飛行機の時間も気にしつつ、
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なんとか着いたが、
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そばを食べようにもすべての店で並んでいたので、
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さっと、下の方だけ一通り見てまいり、
味の滲み込んだ玉こんにゃくを美味しく戴いてきた。
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気になるのは緑、水である。河床は岩である。
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=== 帰途

山形空港へ向かう。天童市内で。
「ひだりうま」の意味を先ほど知った。
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7日間で1000km弱。
米沢盆地、裏磐梯、会津、南会津、白河、阿武隈山地、浜通り、蔵王、山形盆地、と一周しての旅のほとんどをジオパーク的な興味に費やしたが、やはり被災地のその後も見つめていきたいと思う。
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