2017年10月 9日 (月)

内部留保について

「企業がお金を溜め込んで、けしからん、」

「設備投資・株主配当・労働者等への賞与配分、などに回せ!」

「内部留保に税金をかけて吐き出させろ」
というようなことが国政界隈で、選挙の政策アピールとして、
話されているようである。


これは、政党にあまりよらないようである。

アベノミクスは、企業が金を使って経済循環のスパイラルを、と主張し、
左の方の方々は、企業が金をためこんでけしからん、という論調である。

定性的な議論としては、わからなくもない。


内部留保への課税に反対、というのが出ているが、
これは二重課税となるからダメだ、という話であって、
だったら留保される場面=年単位の未処分利益に対する法人税率を上げろ、という話になり、法人税を下げたことの先祖返りと、あまり変わらない。



いずれも、実際のところ、どうなのか、というのはかなり曖昧な話に終止しているように思える。

==== 気になっていること。

それは以下のことである。

・貸借対照表(BS)上=ストックで扱おうとしていることの是非。

・内部留保=利益剰余金(等) という資本の部(BSの貸方)で扱おうとしていることの是非。
・損益計算上=フロー=としての扱いでの可能性

ーーー

企業の決算において「内部留保」という勘定・項目はない。
巷にはこういう説明などがある。

「企業が獲得した利益のうち、企業内部へ保留され蓄積された部分のこと」
「狭義には利益剰余金を指す」

ーーー そもそもおかしいこと

利益剰余金は、貸借対照表(BS)において、貸方の資本の部にあり、
これは、純資産の一部として、「概念としておいている」勘定である。

資本の部とは、実態としての勘定である資産全体(借方)と、負債(貸方)の差であり、その中の勘定(資本金・資本準備金、利益準備金、各種積立金、そして利益剰余金等)は、概念的においているにすぎない。
他の勘定は一旦横において、
利益剰余金は、粗く見れば、
各年に出た利益のうち、配当や役員報酬等に配分した(する)ものを差し引いた、未処分利益が、積み上げられた、とされるものである。

だが、この「金」と書いてあっても、これは実態としての資産の何かと対応したものではない。繰り返すが、あくまでBSにおいて概念的に貸方に書いたものにすぎない。

では、ここの数字が大きいからといって、その企業が配分・投資を行わない、けしからん会社といえるかどうか、というと、これは業態によって大きく話が変わる、と言わざるをえない。 これは私の考えであるが、税務上はともかく、経営上はそうなる。

ーーー 例えば、流動資産残高の年間変動の大きい会社

ある企業が、ある時期を境に、見かけ上、
「ある時期まで」は、利益剰余金が膨らんでおらず、
「ある時期から」は、利益剰余金が膨らんだ
としよう。

その企業は、公共事業を受ける建設会社だったとする。

かなり高額な一品生産の建設を請負い、
その資材や人件費を一旦立替え、
納品検査を受けてから、入金がある、
というタイプの事業を年単位で繰り返しているとする。

この場合、「ある時期まで」の経営においては、
資産側の勘定を見ると、
受注の見込みが立つ段階で銀行に短期の融資を申し込み、審査を受けて入金され、預金が膨らみ、事業をすすめる中でそれが減っていき、納品検査直前でかなり少ない状況になり、入金で膨らみ、すぐに未払い費用に消費する、
というように、現金預金の流動資産の残額の変動が大きい。
「ある時期まで」の経営では、期首の流動資産(現金預金など)の額が少ないと、毎年のように短期で高額の融資を得なくてはならず、その利払いの損失や、事業場の時間的なロスが大きく、調達に影響が出て、そこにも損失が発生する。

この資産の部が小さいことで、結果的に純資産が小さく、利益剰余金も膨らんでいない状態と対応する。

一方、「ある時期から」の経営では、同様の受注を受けていれば、
現金に預金の残額の変動幅は大きいままであるが、
期首の現金預金が大きければ、融資を申し込む必要はなく、調達も早い段階から始められ、納品までの実質の期間も長くできる、など多くのメリットがある。

これは、経営上の有利だけでなく、最終的に損失を抑えられることで、決算の利益幅が大きくなり、その配分先が適切であれば株主・経営者・労働者にメリットがあることになる。

これは、経営上、手元の運転資金の規模を考える上で重要である。
「運転資金」という観点で見たときに手元の流動資産が大きすぎるかどうか、というのは事業の規模の変動幅に比べて安全圏の範囲で大きければ十分であるということになる。

資産の部の流動資産は、年間の振れ幅に安全分を加えた金額のスケールで大きければ、経営上十分であり、それを大きく超える規模は、多すぎるということになる。

この変動が大きい業態では、結果として資本の部の利益剰余金が大きくなることは、やむを得ないとし、株主を説得できることになるし、実際そうして利益をより効率的に挙げることに成功した企業がある。

この場合、見かけの利益剰余金が大きいからと、配当を要求しなくてはならないとしたら、おかしいことになる。そこが大きいから、吐き出させることが、公共的な利益として考える場合にも、よいことといえるだろうか。

(資本の部の内訳は、そうしたことを考慮して切り分けることを求められていない。)

もし、「運転資金」という概念を考慮し、内部留保の概念を見直せ、ということであれば、
本来は、資本の部に、運転資金を安全に確保するための勘定を、積立金として作り、そこに流動資産の変動幅に応じて積み立てるルールを求める、ということが適切だろう。

それを差し引いた部分を、利益剰余金としてみなし、内部留保とせよ、ということになる。

これはあくまで一つの状況をキーにしているだけの例だ。

「運転資金」の観点のみということはありえないので、やはり難しい。


ーーー 資本の部の数字をもとに課税すること

これは、法人税・所得税もそうなのであるが、
費用と資産の切り分けがうまく行っていないところで、
未処分利益や所得というものに対して課税する、というのがあまり合理的ではない、ということが本質的な問題としてある。

現行の税制がそういうものであるから、資本の部、そのうちの未処分利益の累積である利益剰余金に課税、などということを主張しているに過ぎない。

だが、「不当に溜め込んでいる」という状況であるかどうかは、そこを見てもわからないし、妥当と言えるかも怪しい、と言わざるをえない。

変な例をあげてみよう。

実際に、決算を前に、あるいは決算後でもよいのだが、
かなりの未処分利益が見込まれるというので、
ここで設備投資に回そう、ということになったとする。

そのお金で建物・機械・車両等を購入したとする。
だが、購入したら、それはただちに費用として損金となるかといえば、そうではない。

十分な金融資産がある場合は、金融資産が不動産や動産としての資産に置き換えられるだけのことである。

つまり貸借対照表BSにおいては、左側の資産の額はすぐには動かない。
そのことが考慮されければ、直後右側の資本の部の内訳としての利益剰余金は大きくは変わらない。

「設備投資して減らせ」と政治家が言うのを聞くが、
「内部留保と扱いたい利益剰余金」は動かない。
つまり、設備投資しても、やっぱり税金かけるのですか、ということになる。

もちろんよく年以降、時間の効果として、減価償却によって資産の部は圧縮されていく効果はある。 それを促す、という話であればわかるが、短期的に投資へ追い込む効果となるか、という点が怪しい。

そういう意欲をすぐに持てるかというと、それは経営環境によるだろう。
やはり、自己資本率を大きくとっておきたい、ということとの綱引きにおいて、それだけですぐに投資となるまでに時間的に追い込むインパクトは低い。

これは、繰延資産としての開発費への投入も同様である。
投資はすぐには純資産の圧縮にはならない。


このことは、BS上でなく、
損益計算、年単位のフロー上で課税しても、同じことが起こってしまう。
つまり、投資と言いながら資産の付け替えをしただけでは、利益の数字は変わらず、税額も減らないことになってしまう。


これらは、資産の購入と償却・損金のあり方、時間的な処理に帰属する問題である。



ーーー (私は反対だけれど、あえてというならば)

もし「内部留保」に税を、というのであれば、、
例えば、資本の部に
・経営の安定に貢献するための勘定
・経営拡大のための資産への投入に貢献した金額の勘定
を設けて評価して所定のルールまで積み上げることをOKとし、
・それ以外の繰越利益剰余金としての勘定に分けて、これを課税対象とする。それも、繰越年数に応じた勘定にわけるなどして、内部留保の実態をより明確にする、

ということを考える。

=== 出口としての結論はない

上記のように、言ってみるものの、やはり、これでもだめだ。

資本金等とは考え方が違うため、それと分けて、このように利益剰余を区分することに、意味がない。本来純資産の中身を、会社法の指定するものとは別立てで、

経営の材としての必要性
安定のための必要性
コストを抑制するための機能
など

その内訳を区分した上での剰余を見ないと意味がない。

そう思ったことをここに書き残そう。


追記:ここには現在の会社法のでの正確な勘定の名称を用いていない部分が多数ある。概念として書いていることを記しておく。

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2017年9月23日 (土)

港区防災のつどい(名古屋市)

今日は、学外で講演に出かけた。

聞く方ではなく、話す方である。

「港区防災のつどい」という企画で、

防災意識の高い南陽地区で続けられてきたイベントが、区全体の企画に発展したものだそうである。

FACEBOOKページ

①港まちづくり協議会制作映画上映
 「右にミナト、左にヘイワ。」
 伊勢湾台風の記憶を散りばめた防災SFファンタジー
②防災講演
 テーマ:「港区の様々な水災害を知り行動しよう。」
 講 師:大同大学 鷲見 哲也氏
③避難訓練コンサート
 もしもコンサート中に大地震が発生し、津波が来る
 としたら・・・
 そのような場面を想定し、避難訓練を盛り込んだコ
 ンサートを開催します。
 出 演:FlyingDoctor
     :南陽東中学校
ーーー
映画、
私の講演、
そして、
FlyingDoctor さんと、南陽東中学校の演奏。
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楽しい演奏を最後にきかせていただいた。

演奏直後に、地震が発生!! 
ここの体育館の電灯はあの、ぐらぐらのものではない。
大津波警報が出た、とのことで、屋上へ避難。
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南陽交流プラザ、という建物には初めて来た。
2階建てだが、屋上は十分な高さである。

そして、周辺はまだ田んぼなどがあり、
浸水があっても、様子がよく分かるのが、いい。

新川の西側のこの南陽地域は港区でも特に土地が低い。
一旦浸水すると厳しい。



講演は10分押しのところを5分縮めて貢献した。
珍しいことである。

話したいことはたくさんあるが、
事前に港区の水害の4つのタイプに関する情報を集めて整理し、
・その想定される浸水規模だけでなく、
・その現象について多くの人が想像する状況との違い、
・避難行動につなげる時間的な余裕
を紹介した。

Matome
これまでも、各地の生涯学習センターなどの講師も履歴があり、
一般的な状況だけでなく、
多くの公表情報に基づいた、その地域・地先の条件に即した解説をしてきた。

今後も、その地域に即した情報を勉強し、解説を試みたいと思う。

現在のところ、「南区」は無条件でこの話をできる状況であり、
南区については、どの団体にも説明に行くことを宣言している。
また、これまでにカバーしてきたのは、
南区、天白区、緑区、中川区、弥富市、あま市
今回の、港区
であり、これらは一旦整理した情報があるため、
比較的速やかに解説の対応は可能である。
今後、愛知県尾張南西部については、依頼に応じて拡大することになる。

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2017年9月21日 (木)

パッションフルーツ・ゼリー

連休の最終日。

少し前に実家で、パッションフルーツの実を頂戴した。
10個近くももらったのだけれど、ちょっとしわになるまで、一つ一つ半分に切ってちびちびと食べようと、置いておいたら忘れてしまっていた。

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一つ半分にして切ってスプーンで食べたが、
思い立って、ゼリーにすることにした。

グーグルさんにお願いしていくつかレシピを見てみたが、よくわからないので、適当にすることにした。

スプーンで種とともに取り出して、網で裏ごししたら、130gほどのジュースが取れた。
本当はもっととれたはずだが、固いステンレスの網しかなく、やわらかいものがなかったので、種の集団のすき間にジュースがのこってしまって、取り切れなかった。

そして、賞味期限の怪しいのであるが、未開封のはちみつを大さじ数杯(適量かどうかもわからずに適当)、250mLに溶かすゼラチンとお湯で280mLくらいに溶かした。
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今日それを食した。
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適当に作ったにしては、酸っぱくなく、パッションフルーツの香りもして、なかなかよかった。(自画自賛) ちょっと固めに出来上がったのは、はちみつの量が多いからかもしれない。

ゼリーはあるものだけで作ってみたのだけれど、
一番偉いのはパッションフルーツ自身で、
その次が、育ってた実をいただいた母親である。

自然と親に感謝。

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2017年9月16日 (土)

2年縛りからの解放

日記、個人的な記録

18年間続けてきた携帯電話の契約を解除することにした。

最初はTU-KAセルラー。

(怪しい店ではない)レンタルビデオ店でただでくれた端末で試用から入ったのが最初である。

吸収合併でKDDI,auへとなったのだが、
しばらくはガラケー+テザリングで頑張っていたものの、
2011年に知床の海に端末を葬ってしまったことを機に、
スマホに切り替えた。

この端末SOL22が最悪であった。

OSアップデートができない痴れ者、もとい、代物である。
たちまちにして使えないアプリやサービスが増えていく。

当時は、端末のアップグレード時の支払い打切りのオプションもなく、
オプションができた頃は支払済みである。

そして、端末料金も入っていないのに1万円越えとなり、料金が高いと、堪忍袋の緒が切れたのが今年になってからである。

Aujuly
niftyのプロバイダの方で、auスマートバリューなる割引が1200円(プロバイダ契約から3年目以降は934円)かかっているので、実質は8800円くらいである。

けしからん、もう切り替えると思ったとたんに、
「ぴたっと割」なる契約を出してきた。
乗り換えることは決めていたが、その前にこちらの料金形態にスイッチした。

Auaugust

スマートバリュー(ピタッと割では500円)を考慮すると、実質6000円くらいである。

それでも、新契約の方が明らかに安いので、乗り換えは決行した。
契約先はMINEOさん。
Mineo
切り替え前の540円のスマートバリューはなくなるが、

それでも2600円ほどの下落。端末を自分でケアするのであれば、安心保障500円も不要となる。

電話は5分かけ放題(10月から10分かけ放題)などのオプションを入れないと、通常通話料金は30秒20円である。

850円は21分に相当するため、自分からかける電話が月20分を超えないと言えるのならば、この850円はオプションとせず、通常通話料金でよいことになる。

=== 手続きへ
これも記録の為に残す。

・事前に端末を購入しておいた。(ムスビーなるサイトにて。保証関係がはっきりしている。)
今回はSonyのSOV34。この時に、MINEOの手続き手数料無料のクーポンをいただく。

(SOV33も入手済みだが、これは別件扱いで。)
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・電話番号を継承するため、auに電話を掛ける。いろいろと言われるが先方もあっさり手続きに入ってくれて、MNP予約番号なるものを教えてもらう。SMSにもメールにも、通知が来る。

・MINEOのサイトで、個人ユーザとしての登録の後、契約手続きをする。
  使用する端末で使う「SIMカード」の種別を入力する。
  無料クーポンの番号を入れる。
  MNP予約番号を入力する。
  免許証などの個人の住所がわかるものの画像を送る。
  クレジットカードの番号、住所などを入力する。

ここまでを終えた。1週間ほどで、SIMカードが届き、端末にセットして、手続きすれば使用開始となり、auとはさようなら、ということになる。

=== インフラ整備と、通信サービス

いつも思うのだが、
ハードネットワークの整備をして、物理的にサービスを提供する、という事業と、
通信の契約を行い、ソフトとしての通信サービスを提供する、ということは、
そもそも分離できないのか、ということである。

インフラに乗って商売できるSIM各社は、少ない投資で運営できるのであるから、そもそもインフラ整備に投資してきたキャリアは、これに関してもっと請求できるかもしれない。

この部分の分離、あるいはコスト負担は、うまくいっているのだろうか、適正だろうかという疑問である。

一方で、メジャーなキャリア各社は、拡大期に店舗やら無駄なサービスやらに手を広げすぎた。拡大期はそれでよいかもしれないが、パイを分け合うステージになっては、母体が大きくなりすぎ高コスト体質になってしまっている。

その点で、キャリアがかわいそうだとは思わない。
一方で、格安SIM各社は、持つべき負担を負担していることになっているだろうか、とも思うのである。

===

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2017年9月 6日 (水)

スマホが高い。

全くの個人マター。

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現在の端末は、この4年くらいは同じものを使っているが、その時に購入したもののOSのバージョンがAndroid4.2.2までしか上げられないひどいもので、支払期間は端末のバージョンアップの軽減プログラムもなく、「やけくそ」でそのまま使い続けた。
学生最後の頃にガラケーを持ち始めてから、ずっと同じキャリア=auを使ってきたのだが、
いくら何でも端末抜きで1万円は高すぎると感じ、携帯会社の直接契約をやめることにした。

と思った矢先に、料金体系が変わり、「なんだかなぁ」と思いながらもそちらに契約を変更したが、それでも3000円くらいしか下がらず、端末抜きにしてはまだかなり高い。
ポイントプログラムもころころと変わるし、カードを作らないと使えないと、ふざけている。
やはり、見切りをつけて、MNVOに乗り換えることにした。

そこで、auで端末を購入してから乗り換えるのもありだが、SIMロック解除なるものの期間制限があり、新品をすぐにMNVOで使うことができない。

そこで、SIMロック解除がまもなく、あるいはすぐにできる端末=白ロム端末=を別途購入し、切り替えることにした。

一方で、身内が1台端末を持つという話があるので、
最初は、現役のぼろぼろの端末を追加で契約して渡すつもりであったが、
androidがアップデートできず動作も不安定になってきたので、これを断念し、
別の端末を入手した。

その結果、今手元にある端末が、最初の写真である。
(真ん中が現役の古いもの、他が昨年のモデルの端末)

契約はまだこれからだが、準備はほぼ整った。
1台目(自分のもの)は今月中、
2台目を使えるのは12月になってからの見込み。

===

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2017年8月27日 (日)

ビオトープフォーラムin大槌2017

ビオトープフォーラムin大槌2017 というイベントに出かけ、35分ほど話した。
ビオトープフォーラムin大槌2017
主催:三陸ビオトープフォーラムin大槌2017実行委員会
共催:三陸自然学校大槌・認定NPO 法人環境パートナーシップいわて・ESD活動支援センター・NPO法人日本ビオトープ協会・自然環境復元学会・NPO 法人遠野まごころネット
後援:岩手県沿岸広域振興局・釜石市・大槌町 他
2017年8月27日 (日)
10:00~12:00 エクスカーション (集合場所 大槌町役場前)
             ミズアオイの開花と湧水視察(町方地区・源水川・助け合いセンターなど)
13:00~16:30 フォーラム :(岩手県大槌町中央公民館(城山0193-42-3030))
プログラム:
13:00 開会 実行委員長挨拶 ・大槌町長祝辞 ・県沿岸広域振興局長祝辞
13:20~13:40 臼澤鹿子踊り
13:40~ 基調講演:「震災復興と自然の再生・保全による魅力あるコミュニテイーつくり」
鈴木邦雄氏 神奈川県立産業技術総合研究所副理事長・IGES国際生態学センター長・前横浜国立大学学長・日本ビオトープ協会代表顧問・自然環境復元学会会長 ・ユネスコ国内委員会委員
14:40~ 講演Ⅰ:「大槌町町方に再生した除草剤感受性ミズアオイについて」
平塚 明氏 岩手県立大学総合政策学部教授(植物学)・NPO法人日本ビオトープ協会顧問・岩手県環境影響評価技術審査会委員
15:20~ 講演Ⅱ:「大槌の湧水がもたらす生息場とさまざま役割」
鷲見哲也氏 大同大学教授(都市環境デザイン・流域水文学・河川工学)
16:00~ パネルデイスカッション
「町方地区の自然今昔・・地域の子供たちにバトンを受け継ぐために」
コーデイネーター・渋谷晃太郎氏 岩手県立大学総合政策学部教授
臼澤良一氏 三陸自然学校大槌代表・遠野まごころネット理事長
東梅英夫氏 臼澤鹿子踊り保存会会長
菊池啓子氏 県立陸中青少年の家所長・元大槌小学校校長
ーーーエクスカーション
午前は、町方地区のミズアオイ、源水川イトヨ生息地、助け合いセンターへ。
自噴井による池に移植されたプールにて。
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ミズアオイの花が咲いている。先日の雨で葉には泥がついている。
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大槌川の中流部。夏らしい風景。流量は多く、まだやや濁っていた。
助け合いセンターの近く。
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ーーー フォーラム
鈴木先生のお話は、コミュニティと再生・保全、多機能のあたりについてお話されたので、私の準備と重複していたのではそこは簡略にした。
平塚先生のお話は、とても魅力的だった。個人的には、除草剤感受性ミズアオイの群落保全は長期的にはなかなか難しそうであるように思ったが、除草剤耐性のあるミズアオイの拡散性はどれくらいの条件でどうなのか、を知りたいところである。
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鷲見は、大槌の湧水の話はいつも通りである。これまでの大槌を見てきて、この町にあるものを大切に、活かす、という点において思ったことは、下記 の通り。

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=== おまけ

行きの飛行機より。

盛岡周辺。まだ先日の雨の影響が残る。
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花巻付近から岩手山を望む。
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胆沢付近。
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フォーラム、臼澤鹿子踊りを拝見。
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=== 宿題
ジオパーク関係で、大槌の湧水の特徴、その理由、をわかりやすく説明する材料を提供すること。

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2017年8月19日 (土)

瑞浪市釜戸の土砂災害について

瑞浪市釜戸の土砂災害について
NHKの報道、映像はこちら
現場の位置はこちら

報道では触れていませんが、これは自然の土砂災害ではありません。明らかに人工物や陶土の廃棄されたものが斜面の上にあり、この廃棄地が崩壊したことによるものです。

映像を見ればわかりますが、どろどろの土砂と、人工物が高速道路になだれ込んでいますし、崩壊地にもさまざまな人工的な廃棄物がみられます。
この場所の扱い、管理については厳しく問われなければならないと思います。
少なくとも、廃棄された陶土の性質を考えると、廃棄エリアの雨水と排水処理が適正に行われていたとは思えません。

警察にはくれぐれもこの辺りをしっかり調査していただきたい、と思います。

ーーー

さらに申し上げると、大雨による土砂災害は、斜面そのものが崩壊する、沢筋が抜ける土石流、などのパターンがありますが、今回現場で見られるのは、人為的に投棄した谷筋の出口の斜面または盛り土などの安定が失われて、突如崩壊したものとみられます。

その要因は斜面そのものが水により削られたり滑り破壊が起こるケースと、背後の堆積物内に水がたまり、斜面背後の重量増加・強度低下などによるケース、などが考えられます。これはどのようになっていたのかによります。


雨の外力としてみると、論栃の雨量は、8月18日18時までの24時間で107mmと大きい。
111050812855110202017081520196
誘因としての自然外力は大きい。一方で、時間雨量は30mm程度となっており、周辺に顕著な土砂災害が起きている状況ではない。

ちなみに路面排水におけるのり面の設計上の降雨強度は時間120mmである。(日雨量ではない) 斜面そのものの安定に影響したとすれば、明らかに設計上の問題がある。

残るは、雨水排水の不適切性による斜面浸食、廃棄物内への雨水貯留、といった要素を検討していただければ、と考えます。

問われるべきは、廃棄地としての設定、管理ということになると思います。

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2017年8月18日 (金)

先日7/19の中日新聞に掲載された展示の企画へ。
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http://www.pref.aichi.jp/kobunshokan/
http://www.pref.aichi.jp/kobunshokan/shuuzouten29.pdf

伊勢湾台風の当時の海部事務所が撮影した記録写真2034点がデジタル画像化され、その一部が展示、全てのコピーも見られるし、端末でデジタル画像を検索することもできる。

新聞記者がその画像の一部を鷲見に見せてコメントを得たものが記事化されたもので、実際の展示を見るのは初めてである。

思ったより多くの人が来られていた。カウンターへ問い合わせをされる方もおられた。

記者にもコメントしたのだけれど、

・被災やハードの復興の状況だけでなく、当時の避難先・疎開先の人々の暮らしの状況、水没した地域の2階に暮らし続ける人たちも含め、舟が多くあり、機能したこと、

・物資の供給だけでなく、新聞などの情報の流通もあったこと、

・津島が、水没水域の舟の流通・交通と陸域の交通の結節点として機能したこと、

など当時の末端と全体を伺い知ることができる資料である一方、

対比して現在の当地域が同様に被災するような巨大台風の最悪のシナリオでは、ということの共通部分と異なる部分を考える機会となる。

愛知県自治センター7階、公文書館展示室にて。9/12まで。

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2017年8月13日 (日)

「大学授業料出世払い」の記事より

気になることが出てきているので、メモとして書いておく。

とても長いのでそのおつもりで。

=====

今日の日経の一面は

「大学授業料 出世払いで」「『教育国債』で政府が新構想」「こども保険とセット・ばらまき懸念」

という記事である。大学などの教育費の負担軽減策に当てる教育国債の構想の再燃、として、授業料を国が立替払いし、卒業後一定の収入を得たら授業料を出世払いさせる、という案である。

 

ーーー

 

少し考えただけでも、多くの視点・要素の議論をしなくてはならないことであるとわかる。

・財政負担の規模と時間スケールに関すること

・一定の収入の判断と、時間差の問題(借りる段階と支払いの段階の想定差)

・大学進学とそれ以外の公平性の問題

・教育と人材育成の違い

・教育への施策と効果への考え方・根本の変革の可否

・教育の公平性と、機会均等の公平性、の違い

・その他

 

ここでは財政の話と、収入規模の判断、については、横においておく。

その他の4つは、互いに強い関連性がある。

 

ーーー 「大学などの高等教育」という限定について

 

どうして高等教育だけなのか、ということである。

私はその方面には全く疎いが、例えば学生支援機構は専門学校等にも奨学金制度を設けている。なぜ、高等教育に限定するのだろうか。これは、授業料が高額であるから、ということであれば、授業料そのものを下げるための施策と、高額な授業料であればその高い部分に対して規定し、高等教育に限らない制度にするのが、公平である。

 

 

ーーー それ以前に、教育、をしている意味

 

そもそもの話になり恐縮だが、

 

教育の目的はなんだろうか。

 

義務教育からはずれた高校以上に関して言えば、大きく分けて2つある、と思う。

 

一つは、自己の内的幸福のためであり、

もう一つは、専門性等のある道の能力を高めるためである。

 

 

自己の内的幸福、と書いたのは、こういう理由である。

 

学んでいるときに喜びを得られればそれは良いが、それはおいても、

教育で得た学びが、

 

 

・その後の人生において、より正しい行動に結びつく、というような実質的な幸福(不幸の回避)に役立つこと、

 

・その後の人生において、接する状況や情報において、感動したり、知的に(時には体感的に)興味深い・楽しい、といった機会を増やす、というような、心の幸福に役立つこと

 

 

というようなことを、人間社会は知っているからである。

 

 

高等教育には、卒業後、最終的にそうした内的幸福にのみ貢献するケースと、専門性を高め、その後のキャリアを構築するのに役立つケース、とがある。これらは大学として混在しており、その役割の違いに応じた組織の区分を行っていない。だから、理系重視、文系軽視、などという話になっていっている。

 

そこにおいては、上記の個人の心の幸福を深化させるのみであれば大学は不要、ということでよいか、ということを真剣に議論しなくてはならないのである。

 

それを大学から排除する、という議論をするのであれば、例えば、文学科は、作家志望や文学研究者となるもののみを募らねばならない。そしてその狭い母体は、30年後60年後には、そうした幸福に対して教育や生産物を提供する人材が極端に細ってしまい、国全体の個人の幸福全体が低下することにつながりかねない。

 

これは持続可能性のシステムという観点である。専門性を育てる以外の教育というのが、どの程度の意義・広さで存在していないと、国全体の個人レベルの幸福度が高く維持できないのか、を真剣に議論してほしい、と思うのである。(定性的にだけでなく、より定量的に。)

 

だが、少なくとも定性的には、現時点で私は、これがなくなってよいとは思えない。

 

(これに近い議論を「教養」の役割だ、としていることを承知しているが、日本では、「教養」の意味が多様に受け取られる可能性があり、すでに使える用語とはみなしておらず、ここではあえて使っていない。欧米の教養と日本の教養ですら、違う。 日本には「学がある人」をそう呼ぶ人が多いが、それが心の豊かさにつながっているかどうかが問題だ、と私は思う。 個人的な話を加えると、私は狭い知識で深い幸福を得られるタイプの人間であるから、いわゆる「教養」という言葉とは無縁である。)

  

 

ーーー 専門教育、職業訓練との差異と公平性

 

教育と人材育成は、同等だろうか。

現在の文部科学省は、大学教育を人材育成として位置づけている。

 

その能力水準において許された人が、学びたいところとして大学を位置づけているのではなく、

社会に役立つ人材の育成組織として意味のある教育機関として位置づけているのである。

それでは、文学部や理学部はどうなってしまうのか、ということになりかねない。

 

ある特殊な学科であるとしても、人材輩出としての効果は100%ではない。

バブルの頃なぞ、理系の学生が、どんどん銀行に入社していた時期もある。

 

つまり、職業訓練をしているわけではなく、その素地としての人材を育成しているにとどまっている。専門知識を所定のレベルまでは獲得することとしている。

 

 

では、この新聞記事の「構想」は、

就職前の専門学校や職業訓練で学ぶ者との差をどうするのか、ということにならないだろうか。

確かに学費は高い。だから大学をターゲットにしているのもわかる。

だが、専門学校でも、就職後の給与が低ければ、その差額がおなじならば、同じことである。

 

 

私は、大学等を「高等教育」と呼ぶことには違和感を持っている。

 

逆に言えば、「高等教育」に進まなかった・進めなかった人たちがおり、その人達に職業訓練や専門教育を行っている状態を「中等」と呼んでいるわけではないからである。

 

特に「高等教育」に限る必要はない。

 

子どもたちの就職するまでの過程での負担と効果の公平性を考え、制度設計するとよいと思う。

そこは、教育への施策と効果への考え方・根本の変革の可否を検討の段階に立っている、と考えて良い。

 

これまで、義務教育以降の教育は、家庭の事情で決まることはやむを得ないという考え方である。それを変革しよう、という考え方は良いと思う。

 

一方で、教育の公平については、別の認識が必要である。

 

いま、大学の進学率が極端に高い事態は、多くの人は教育が公平になった、と考えるかもしれないが、これはとんでもない間違いである。大学は、所定の学力があるとみなされた者が選抜されて入学することが許される場所である。この割合が変化したということは、明らかに低い能力の入学者が多数進学しているのである。

 

これは教育の公平ではなく、逆平等である。少子化が見えているにもかかわらず、大学は増殖するし文科省は黙認してきた。大学の教育の質そのものが大きく変質し、ときに、何が高等教育なのかすら疑問を持たざるをえない。

 

適切なレベルに設定し、学生が少なくとも、つまり高い授業料でも大学が維持できる制度、ということになるほうが、様々な面でよい方向に向かう。むろん、大学の統合化が容易な環境を作ることも重要である。現在の学校法人にかかる制度設計は、この点で硬直的に過ぎ、非常にひどい状況にある。

 

話を戻すと、高校以上の教育において必要なのは、機会の公平性であり、教育そのものの公平性ではない。ここを勘違いしてはいけない。

 

努力し能力を獲得したものが挑戦し入学せきる機会を公平に獲得できることが必要なのである。

 

希望する者全員が入学し、高い授業料について借金し、社会に出る段階で借金大魔王になる者を、多く送り出すことではない。

 

ーーー

 

高額な教育・訓練と、社会に出てからの収入の差異を調整する制度があることはよいと思う。

それは大学に限る必要はない。


高度経済成長の後、

体一つでできた仕事がどんどんなくなってしまった。
建設現場ですら、免許などがなくてはなんともならない。
ちょっとした仕事でも、少しは何らかの職業訓練や経験・知識の獲得を要するものが、とても多い。

こうして、人材の流動性はまったく失われてしまった。高度化するということは、別の不幸を増やす要因も作り出している。

人材不足は絶対量によって起こっているように見えるが、実際には分野ごとの人的偏在や受給の変動によって起こっているのである。

そして、誰でもできる仕事こそ受給で決まるはずが、まだそうした仕事の給料賃金はそれほど上がっていない。この先逼迫すれば、都市と地域差は大きくなるだろう。だが、それでも人の移動の方が昔ほど起こっていない(地域流動性の制約)の原因は何なのか、も考えてもらうと良い。(移動・転居コストのハードルの高さと、その緩和策のようなもの)

話を戻すと、「高等教育」以外の職業・キャリアパスにおいて、幸福な像を描ける環境を整えてほしい、と望んでいるのである。愛知県の西部では、その状況は実在する。

わざわざギリギリで大学に進み、就職活動の末によく知らないソフトな企業に入社して将来不安なママ低い給料で働くより、

工業高校卒でトヨタ系列の工場で働く、

という方が、よほど幸せだ、などと思う人はいるし、実際そういう比較が可能である。

高学歴信仰が不幸な状況を作り出す原因の一つである現状を緩和し、高い学力のものが大学を目指し、その他の方々も道を見出し職に就く、それぞれの幸福のあり方を描けるかどうか、ということが、この記事で気になったことである。

これを正しく機能させるための、大学側のあり方も含め、社会全体の像を、定量的に、どうあるのがのぞましいか、を見直すこと、それが今日本で考えてほしいことの一つなのだろうな、と思ったことを書き残しておこう。

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2017年7月14日 (金)

20170714の犬山周辺の雨と氾濫について

14時現在書いている。
今日は所要により現地に行けないのが残念である。

川の防災情報によれば、
http://www.river.go.jp/kawabou/ipTopGaikyo.do?init=init&gamenId=01-0101&fldCtlParty=no

新郷瀬川の羽黒地点は、すでにピークを超え、氾濫危険水位も下回っている。超過していたのは2時間ほどである。

Photo
一方で、五条川の上流部では氾濫した上で、水位が下がっていない。
10min
Photo_2

レーダー雨量(Xバンド)は、9時前後から11時前までの2時間ほどで、100-130mmほどの強い雨が犬山市・大口町に降り続いたことになる。

X0949
X1019

地点雨量で見ると、
犬山(愛知県河川)地点では、
10分最大19mm
30分最大54mm
60分最大86mm
120分最大123mm
この他にも
今井(砂防)では
10分最大22mm
30分最大53mm
60分最大97mm
となっている。
「愛知県の確率降雨」を見ると、
http://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/231329.pdf
今回の
10分雨量は7~20年確率(に一度相当)
30分雨量は40年確率相当
60分雨量は40-80年確率相当
120分雨量は50年確率相当
となっている。

道路排水の設計は5年確率が通常であり、
五条川上流・新郷瀬川の上流部の「暫定の整備目標」は10年に一度の雨としている。

(しかも、整備は終わっていない)
よって、短時間の雨であっても、排水能力を大きく超えた雨であったことになる。


(注意:上記の確率は2000年までの統計に基いているため、近年の雨まで入れた確率雨量ではない。)


=== 今回の雨は

短時間に局地的に降る強い雨(いわゆる「ゲリラ豪雨」)の典型的なパターンといえる。

こうした雨は、内水氾濫、中小河川の氾濫をもたらし、、大河川の氾濫にはつながらない。
つまり、道路冠水、床下浸水、床上でも浅い浸水にとどまる。

逆に言えば、わざわざ危ない行動を取らなければ人が死ぬことはない。

今回の雨は、それまでのレーダーを見続けると、雲の動きから、危険な雨かどうかはわかる。

細長い雨域が、その線の上で流れるように動いていれば危険、
細長い雨域が、線の方向ではない方に動いていれば、通り雨、である。

そして、その雨が自分の近くの川の上流全体にかかり続けるようであれば、その川は危ない。そのためには、どこまでが流域なのかを知っておく必要がある。

これは、それぞれの場所で知らなくてはならないので、役所や気象庁が、いちいち住民に知らせることができない。そこが問題だ。

===


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